History 歴史 / 沿革
地場の鍛冶の伝統の中で
マルト長谷川工作所は、地場の鍛冶の伝統の中で成長してきました。
新潟県三条市は江戸時代から続く、全国有数の金属製品の一大産地です。特に刃物類は高い品質で知られ、現在では「Sanjo Japanブランド」として海外でも評価されています。この刃物づくりの伝統が、マルト長谷川の中にも脈々と受け継がれているのです。
歴史
History-01 黎明期
1924年、創業者の長谷川藤三郎は弱冠24歳で起業しました。ようやく日本でラジオ放送が始まり、数年後に世界恐慌を控えていた時期です。当初製作していたのは大工道具である「締めハタ」が中心でした。
より近代的なペンチなどの作業工具に魅せられた藤三郎は、自社での生産を開始すべく1932年に新潟県ではじめて「スプリングハンマー」を導入。それまで手で金属を鍛えていた作業が機械化され、生産性が大幅に向上することとなりました。
やがて馬のマークのKEIBAブランドとして、後に作業工具メーカーの集積地となる三条市におけるパイオニアとして活躍していきます。
締めハタ(クランプ)をハタ金と命名し、PAT.数点を取得。初代藤三郎が最初に手掛けた製品であった。以来、マルトのハタ金は今日も製造が続けられ、多くのファンにご愛顧頂いている
初代 長谷川藤三郎(1900~1962)
大正13年(1924)5月弱冠23歳で独立。不屈の精神で新商品開発に取り組んだ。
History-02 発展期
戦後、KEIBAの工具は新天地を求めて海を渡ります。当時、アメリカで工具や住建材などのDIY商品を取り扱うホームセンターが急速に広がっていました。
KEIBA製品はこのホームセンター向けの工具として、大量に輸出されるようになったのです。特にプラスチック用ニッパーは日本製特有の繊細で鋭い切れ味が評価され、北米市場のトップシェアを獲得するまでになりました。その後ヨーロッパやアジアなど、販路は世界各地に拡大。現在では20カ国以上の国々でご愛顧いただいております。
生産数も国内最大規模に成長し、日本製として欧米に大きな市場を持つ唯一のカッティングプライヤーメーカーとなりました。
KEIBA製品はアメリカに大量に輸出されるようになり、特にプラスチック用ニッパーは日本製特有の繊細で鋭い切れ味が評価され、北米市場のトップシェアを獲得するまでになる。
二代目 長谷川藤三郎(1925~2004)
新潟県作業工具協同組合のリーダーとして、三条貿易振興会の会長として、新しい市場を求めて業界に貢献した。
History-03 転換期
長い歴史の中で磨かれた技術力を生かし、現在の評価に甘んずることなく様々な挑戦を続けています。
工具メーカーとしては他社に先駆けてデザインの重要性に着目し1960年から有名デザイナーを招致、そのノウハウを学びました。以来、新しい発想と美しいフォルムを追求する姿勢は、本日まで受け継がれています。
また、1967年に大手化粧品メーカーからの依頼を受けてニッパー型の爪切りの製造を開始。年間30万個以上を生産しました。そこで得た経験を生かして、2000年代に入ってからは爪切りを含む理美容用品の新ブランド「MARUTO」を設立。Webサイト「つめきり文化研究所」もオープンし、新たな分野に高品質の製品を提供し続けています。
機能性を追求し、精度を高め創意工夫し、新しい技術、新しい製品に"挑戦する社風"を培ってきたことで、各種デザイン賞を受賞する栄誉を賜るなど、各界から高い評価を得ている。
沿革
1924年 5月 |
初代長谷川藤三郎個人経営にて締ハタ及び小農具、大工道具等の製造を開始する。創意工夫により新製品を数多く開発する。 |
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1936年 5月 |
規模拡充のため、三条市島田177番地に移転、工場を拡充。大工道具類の他、作業工具各種の生産を開始。ペンチ・スパナ・レンチ類十数種に及び新潟県下の先駆けをなし常に新分野の開拓に傾倒する。創意工夫により新製品を数多く開発する。 |
1943年 5月 |
大東亜戦争峻烈となり国家の緊急要請に応えるために法人組織となし株式会社マルト 長谷川工作所と改め陸海軍のペンチ納入を主とする等、軍需用品の製造に従事する。 |
1945年 9月 |
終戦と同時に全面的に平和産業に切り換え、主力をペンチの製造に注ぐかたわら喰切、 締ハタを製造す。二代目長谷川藤三郎、代表取締役社長に就任。 |
1951年 10月 |
日本工業規格表示制度の実施と同時に之が申請を為しペンチ類の一級表示許可を受く。 |
1964年 3月 |
東京営業所を開設する。 |
1969年 12月 |
近代化5カ年計画最終年度。全容を三条市東本成寺1911に移転、本社を移す。 |
1970年 8月 |
強力ニッパーのJIS表示許可を受く。 |
1974年 11月 |
無事故(無災害)記録連続130万時間樹立し、労働省労働基準局長賞を受く。 |
1976年 2月 |
ドイツケルンハードウェアショウに出展。(以後毎年参加) |
1980年 10月 |
全日本中小企業総合見本市に於て「同軸ケーブル用ワイヤーストリッパー」が優秀出品として中小企業庁長官より表彰を受く。この年より各種コンペに参加・受賞を重ねる。 |
1982年 12月 |
年間総生産4,128,000丁達成。 |
1986年 5月 |
(株)神戸製鋼所製、鍛造用ロボットを導入し鍛造の自動化を実現する。 |
1995年 4月 |
長谷川藤三郎取締役会長に、長谷川直代表取締役社長に就任。 |
1996年 1月 |
MPS(マルト生産システム)活動キックオフにより現場の改善活動開始。 |
1999年 5月 |
創立75周年記念各種事業。 |
2000年 1月 |
自家発電日立製190kw(出力)×3台設置。 |
2000年 3月 |
年間無災害記録達成。 |
2001年 12月 |
第三工場5,850m2購入。 |
2002年 11月 |
鍛造段取替え世界記録(6分40秒)を達成。 |
2003年 8月 |
理・美容業界への進出を図るため首都圏で新作発表会を開催する。(於 : 渋谷区原宿・表参道 ネスパス新潟館) |
2004年 2月 |
創業80周年を迎える。 |
2004年 5月 |
2代目長谷川藤三郎没。 |
2006年 | 近接地5,172坪購入(第四工場)、医療機器製造業許可。 |
2008年 | 中小企業モノ作り300社に選ばれる。第四工場可動。 |
2009年 | 創立85周年、MPIキックオフ |
2011年 | 4代目長谷川直哉社長就任 |
2013年 | 企業理念制定 |
2014年 | 創立90周年新洗浄システム導入商工中金「グローバルニッチトップ」に選ばれる |
2015年 | ロンドン営業所開設 |
2018年 | 新研磨工場稼働 |
2019年 | ショールーム「マルトパドック」オープン |
2021年 | 代表取締役会長 長谷川直が「旭日単光章(中小企業振興功労)」を受章 |
2022年 | 新熱処理工場稼働 |
2024年 | 創業100周年 「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞【審査員特別賞】 受賞 |